2019年4月13日土曜日

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 20年の議員生活を振り返って
この4月の統一地方選挙では、いよいよ6期目に挑戦することになります
19961月阪神淡路大震災が起こったあの時、私は兵庫県の男女共同参画アドバイザー養成講座二期生として学んでいた最中でした。介護や嫁姑問題、仕事での課題は、個人としてより、女性としての生き方を求められた結果、喘いでいる多くの女性達との出会いがあり、私自身もまた女性らしさの縛りの中にいることを自覚することでもありました。
大地震の発生によって、県のボランティア活動への参加に始まり、「兵庫県こころ豊かな人づくり500人委員会」への参加する一方で、男女共同参画で学んだことを喫茶ラ・プラスの起業を通して、多くの意識を持った女性たちが集うようになり、また全国的な女性センター建設の流れの中で、市政への関心が深まって行きました。
19984月には、地元の婦人会長に押されて、市議会議員への立候補を決意することになります。40歳の私は、女性の立場から、市民活動から、そして地域の代表として、議員の立場を必要とし、その責務を果たそうと思いました。1999年の選挙からもう20年となりました。
 この間、多くの人との出会いの中で、学び、経験を積み、様々なことがありましたが、平成305月に兵庫県自治功労賞を受賞し、6月には74代議長に就任、姫路市議会初の女性議長となりました。
11月には平成最後の園遊会に招かれ天皇皇后両陛下を間近に拝謁し、皇太子さま雅子妃殿下からはお言葉をいただくができました。60歳という節目をこのような恵まれた状況で過ごすことができましたことは、ひとえに皆様のおかげと感謝申し上げます。
女性として初めて姫路市議会議長に就任することは単に私の名誉というばかりではなく、本来もっと早く女性たちが獲得すべき一歩をようやく踏み出したに過ぎません。しかしながら、立場というものによって得たものは大きなものでした。今般引退した相撲の稀勢里が横綱になって見えるものが違うと表現されたように、議長という仕事は、姫路市議会議員の総体として、他都市との交流や広域的な課題への視点を持つこと初めとして、気づくことがたくさんありました。

また、県や国への陳情や要望活動を通じて、政治の成り立ちを実感することにもなりました。この経験を踏まえて、私は仕事がしたいと決意を新たにしています。何より原点の市民の目線で仕事がしたい!と、ますます思うようになりました
私の政治信条は、年齢、男女を問わず、障碍の有無にとらわれず、いろいろな立場の人々ができるかぎり自分の能力を活かして、人生を送ることのできる社会の形成です。女性が元気で働き、子育てや介護に安心して取り組むことのできる社会です。そして、情報開示と市民の合意形成のプロセスを大切にすることを基本に活動を続けてきました。
その第1が女性議員を3割以上にすることが大切です。女性がいることが当たり前。今では女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法平成28年4月1日施行)とか政治分野における男女共同参画の推進に関する法律(平成30年5月23日公布・施行)が成立しています。長年の目的であった姫路市男女共同参画条例がやっと成立、平成28年4月から施行されました

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